自己啓発

【挑戦しない自分】私の悩みを存分に打ち明ける【大学】【やりたいこと】

今回は、私の悩みを打ち明ける、というなんとも個人的な内容である。ガジェット好きになって1年半が過ぎた。また、大学も後半戦に入った。ここまで私が何をやってきたのか、自分に対しての振り返りをする。

contents

日記で自分を把握

今回の記事は、自分で書いた「日記」を参考にしている。日記を書いたことで自分のことを見つめ直すことができた。

日記について語った記事があるので参考までに。

何も挑戦しなかった自分への憤り

今回の結論はこれになる。本当はもっと挑戦したい。でも、できない。それについて徹底的に深ぼる。

TwitterやYouTubeに嫉妬

TwitterやYouTubeのツイートを見ると、「〇〇はいいぞぉ〜」や「〜を購入してみた」など、さまざまなツイートを良く目にする。みんなクオリティが高い。どうしても「いいな〜」と思ってしまう。

良さげに見えるところだけ

基本TwitterなどのSNSは、いいところだけをツイートする人がほとんど。自分の努力シーンや醜い一面はツイートしない。だから余計に「この人は完璧だな〜」と思ってしまうのだ。

嫉妬・劣等感は悪いことではない

嫉妬・劣等感自体は悪いことではない。むしろ、嫉妬や劣等感というのは、生かすことで膨大なエネルギーになりうる。

本当にやりたいことのヒント

私もあなたのようになりたかった、という思いから嫉妬・劣等感が生まれる。ということは、

「今ちょっとこの人に嫉妬してるな」

    ↓

「これって俺が本当にやりたいことなのか!」

という捉え方ができる。

「でも私は…」挑戦ができない

しかしながら、必ずしもいい方向に行くとは限らない。その挑戦が非常に難しいものだったり、才能の差で決まるものだったり、いろいろある。だから、俺はいつも諦めてしまう。

分からないの壁

挑戦というのは、今まで自分がやらなかったことを実行することである。
新しいことを始めるとなると、それを実行するための情報、知識が必要である。

先行きが見えないのは精神的に辛い

分からないがずっと続くと、精神的に辛くなる。テスト勉強でもそうだが、ある程度内容が理解できているのと、そうでないものは、勉強のやる気が桁違いに違う。

大学の課題が多すぎる

あと、大学の課題が多すぎて、趣味に手が伸ばせない、と言うのも原因の一つ。課題の締切に追われる日々は辛いものだ。無駄に悩むし暇な時間には課題のことしか考えられなくなる。

完璧主義も挑戦の弊害

私は真面目で完璧主義者である。一見自慢のように聞こえるが、これは俺の最大の短所である。趣味においても完璧にやろうとするから辛くなる、そしてすぐに諦める。完璧でないとダメな思い込みから、私の精神はズタズタになった。

ガジェットと私の実態

私はガジェットが好きである。しかし、最近満足感を感じにくくなった。

使いこなせない40万円

私はこういった周辺デバイスに合計40万円の投資をした。全てバイト代。
ただ、結局のところ、全く使いこなしていないのが現状。15万円のデスクトップPCは特に使っていない。

生産性に極振り

私の勘違いだが、自分の生産性を上げるための投資を惜しまなかった。でも、これだけでプロになれるわけではない。生産性は掛け算である。0に何をかけても0だから。

知識や大きな体験に投資すべきだった

デバイスにばかり投資してしまったが、本来はもっと大きな経験に投資すべきだったのかもしれない。

家への投資は無意味だった

実は、大学での授業だったり、大学の雰囲気だったりは好きである。在宅勤務の需要とは反しているが、大学構内で授業を受けた方が圧倒的に楽しい。モチベも自分の部屋とは比べ物にならないくらい快適。40万円の投資は無駄だったね。

迷ったらメルカリに売ればいい

今なら必要のないデバイスをメルカリに売ることが可能である。だから、完全に無駄という捉え方はしなくていい。ガジェットは資産。

使いこなせない自分に絶望

当たり前だが、ガジェット好きだけで満足感を得るのは、限界が来る。YouTubeやブログなどで良さを発信するならまだしも、ちゃんとした目的がない限りは無意味な投資になる。普通だったらこんな無駄遣いはしない。

Apple発表会のたびに絶望

つい最近M1Pro•Max Macbook Proが発売されたようだが、欲しい。ただ、Macbook Proは、完全に利用者を分ける販売戦略を取られていた。普通の人にはオーバースペック。俺が買っても、結局使わない、というか、どうせ所有欲だけだろ。もう生意気言うな。努力をしない俺がMacを触る権利はない。

全ては努力をしないせい

ここまででわかったかもしれないが、自分は何もしていない。結局お前が原因ということがわかっただろう。

ずっと努力をサボっていた

この場合の「努力」というのが定義しづらいが、皆が普通にやってきたことが、私にはできないと思う。

最高クラスの問題児

高校生までの私は、とにかく問題児だった。すぐに感情的になり、生徒、先生方に迷惑をかけた。もう呆れて誰も注意することはない。老害。

親ガチャに外れた

まあこうなってしまったのも親のせい。と言うと完全に俺が悪者になるが、実際親は無能である。お金の執着は多いし、基本思考停止してる。

10代までの環境で人生を左右する

親ガチャに外れた子どもは、好奇心が薄い。親に制限をかけられたことで、何にも挑戦しなくなる。常識にばかり取られ、つまらない子どもになってしまう。

必要十分を満たす環境

ここからは私の持論だ。これからの若者は二極化するのだろうと私は予想する。

安定を選ぶか、挑戦を選ぶか

何もしなくても幸せ

現在は1人一台スマホという恵まれた環境になっているため、それだけで幸せなのである。SNSさえあれば暇を潰すことはできるし、生きていれば満足ととらえることが可能である。

辛い思いをしてまで挑戦する必要があるか

むしろ挑戦は目の前に車があるのに使おうとせず自力で歩こうとしている選択と一緒である。

達成感が最高の楽しさ

しかし、挑戦をした先に待っているのは、最高の喜びである。努力が報われた、自分は「〇〇をしている」となった時、相当な充実感を感じる。これは単純に幸せだ〜だけでは表せない、とびっきりの達成感から起こる。今までの苦痛なんて忘れるくらいに、ただそれに対して最高に楽しむのだ。

その過程で楽しめる

挑戦にはリスクがつきものだし、本当につらい思いをしてそれらに取り組むはずだ。しかし、彼らはそれらに夢中である。本気でそれらに夢中なのだ。だから彼らはすごい。

これから俺はどうするか

さて、自分の分析はできた。じゃあこれからどうすればいいのかを考えてみよう。

人とのコミュニケーションを増やす

まず、人との交流を増やすところからだ。自ら友達を増やす行動をしない私は、どんどん情弱になっていくし、どんどん離されていく。

多数の価値観を知る

他の人の価値観を知ることで、自分にとっての当たり前が非常識だったり、こういう考え方もある、と知ることができる。

課題の時短

課題を教えてくれる有能を見つければ、課題を効率的に進めることができる。課題を効率的に進めれば、他の趣味に時間を割り当てることができ、自分の時間を増やすことができる。もう真面目人間はやめて、贅沢な人間になろうではないか。

目的を明らかにする(イシュー)

私は現在、将来の夢のようなものが一つもない。こんなことがあっていいのだろうか、いや、ない。

「イシュー」ってなんぞや

イシューという言葉を初めて聞く人も多いかもしれない。イシューとは、

「実現したい目標、本当に取り組むべき課題を見極める力」

のことを示す。つまりは、自分の本当にやりたいことを明確にしろ、ということだ。何のためにそれをするのか、それらが明確になってしまうと「どうせ僕は…」と無駄に悩むことになる。

完璧主義を捨てる

少しくらいミスしたっていいじゃないか、そんなことを思いながら気軽に挑戦をしていくべき。

やらない方が恥ずかしい

何かに挑戦するたびに、私の中に「恥」の感情があるとするなら、それは逆である。挑戦をする人は立派である。むしろ、何もしない方が恥ずかしい。

他人のため、ではなく、自分のため

完璧にしなければならない、というのは一体誰のためなのか。それの答えが見えない限り、その努力は時間の無駄。

成功体験を増やす

何でもいいから挑戦して欲しい。完璧でなくてもいい。

好奇心に敏感になる

あとは、日々の生活の中で、好奇心に敏感になっておく必要がある。それが自分の本当にやりたいことなのかもしれない、そうでないかもしれない。でも、どのような時に好奇心が発生するかを記録し、傾向を把握することで、本当にやりたいことの手がかりになるかもしれない。

写真をいっぱい撮る

迷ったら写真でも撮ってほしい。私自身、自撮りなどを全くしないが、本来は撮っておくべきだと思う。ある程度自分に自信がないとできないことだが、安心してくれ。加工すればいい。今は加工すれば何でも合法化する。

疲れたら休憩する

クソみたいに真面目なせいで、がむしゃらに頑張ろうとする。しかし、それでは駄目。適度に休憩して、精神的な疲れ、身体的な疲れをコントロールしてほしい。

モヤモヤ・執着を減らす

課題のことなどを心配していたりすると、精神的に余裕がなく、疲れやすい。精神的な疲れは自分では気付きにくいため、なるべく溜めないのも重要。ToDoリストや課題の時間を決めておくことで、モヤモヤは消えていくだろう。

大丈夫、成長はしてる

最後に、私へのメッセージだが、無能な高校生時代までの私と比べれば、現在の私は明らかに成長している。感情的になっていた以前の私とは違う。誰も俺のことを嘲笑うような人はいない。

とにかく私は前へ前進している。だから、これからも自分に自信を持って、のびのびと生きてほしい。

  • この記事を書いた人

Kado

こんにちは、Kadoです。大学生です。PC・ガジェット好きです。趣味で自作PC、プログラミングをしています。

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